野球解説者
北別府学
Kitabeppu Manabu
1957年7月12日生まれ
1975年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。3年目に10勝を挙げると翌年以降11年連続二桁勝利。1982年には20勝し最多勝と沢村賞を獲得。1994年シーズンを以って現役引退。通算213勝を挙げ、名球会入。
引退後は広島ホームテレビ・テレビ朝日で野球解説者として活動。2001年から2004年までは広島東洋カープの投手コーチを務める。コーチ退団後は、広島ホームテレビの野球解説者などの活動を行っている。
2019年に成人T細胞白血病を告げられたが、その試練を乗り越え、今も講演などを通して病気の経験や野球人生を伝えていく活動をしている。
出身地
鹿児島県
出演種類
講演会/トークショー
依頼料金
別途ご相談ください
カテゴリー
・病気の克服 ・野球 ・人生 ・夢、目標、挑戦
<オンライン対応可能>
提供する価値・伝えたい事
血液のがんであることをはっきりと告げられたのは2019年の冬でした。
「数値が非常に悪くなってます」
やっぱり来たか。
医師には数年前に、慢性の白血病ですと告げられていたのです。
たまたま別の病気で診察を依頼したとき、「大変なものが見つかった」と医師から言われた。
慢性という言葉に命を失うほどのことはないだろうと正式な病名すら記憶していない程。
しかし発症したらどれほど大変な病か、その事を考える事から逃げるように仕事に没頭していた日々からの突然の発症。
それが成人T細胞白血病だった。
血液の病気でどこが痛いとかのはっきりとした自覚症状は発症したという宣告の後も殆どなかったが、いつか発症するだろうと覚悟はしていた。
「がんにかかるなんて思ってもみなかった。厳しい野球の練習に耐えて体を鍛えてきた人間だし、不死身ではないかと思っていたくらいだったから。」
北別府は現役19年間で213勝を挙げ、名球会、野球殿堂入りしている。
「絶対逃げない」を信条にマウンドに立ち続け、5度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献した。
カープの黄金時代を支えた強い男に病気など無縁だと信じていた。
抗癌剤投与のあとに行った幹細胞移植は成功したと伝えられていたが拒絶反応が起き、闘病生活は想像を絶する苦しみをともなった。
ひどい口内炎で水分すら満足に取れず、腸炎を発症して一時は意識もなくなり、予断を許さない状況に陥った。
白血病と闘い、ついに、せん妄(意識精神障害)の状態にもなった。
そんな状況からも家族や医師の支え、持ち前の強靭な精神力で徐々に状況が好転してきた。
家族みんなで、一緒に乗り越える。
そう思えたからこそ、試練に打ち勝つことができた。
北別府学は生きていることを、今ほどありがたいと思ったことはない。
現在は手術も無事に終わり、精一杯に今を生きています。
命を失いかけて改めて家族の大切さ、命の大切さを痛感しました。
野球を通して培った、困難に直面した時に大事な「決して諦めない逃げない人生」など生き様、生き方をお話します。
主な実績
講演実績
病院、企業など 多数
テレビ
・TBS 関口宏のサンデーモーニング
・フジテレビ タカアンドトシのほこ×たて
・日本テレビ 秘密のケンミンSHOW
・広島ホームテレビ 勝ちグセ。サンデー恋すぽ(レギュラー)/ プロ野球解説者(2012年シーズン)
その他
【現役時代のプロ通算成績】(実働19年・515試合)
213勝143敗5S、防御率3.67、1757奪三振
最多勝2回、最優秀防御率1回、最高勝率3回、
シーズンMVP1回、沢村賞2回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回